|
携帯用
2010.04.30 〜

★ 素材をお借りしました ★
|

開館時間・アクセス方法
◆開 館 時 間
午前10時〜午後6時
◆休 館 日
毎週月曜日・毎月末日(館内整理日)
国民の祝日(文化の日を除く)
蔵書点検期間(秋季の内、1週間)
年末年始(12月28日〜1月4日)
◆所 在 地
〒725-0026
広島県竹原市中央4丁目7番11号
TEL 0846-22-0778 FAX 0846-22-1072

|
名称の由来
当館は寛政5(1793)年に頼春水ら郷土の先賢によって、商家の子弟のための郷塾として設けられ、明治43(1910)年に町の有志の手によって、社団法人「竹原書院」の名称で図書館活動として受け継がれました。
昭和4年には社団法人「竹原書院」から竹原町立の図書館「竹原書院」となり、昭和33年の市制施行により、「竹原市立書院図書館」に、その後条例整備に伴い、今日の名称「市立竹原書院図書館」となりました。
|

|
市立竹原書院の歴史は古く、寛政5(1793)年にさかのぼります。17世紀中期、赤穂の技術を導入し、竹原で塩田が開発され、17世紀後半には「竹原塩」の名で知られ、その経済的基盤が文教的な風土を生み、儒学者、医者、歌人など町人学者を輩出しました。その1人である、医師塩谷道碩は、子弟に儒学を教授していましたが、明和元年(1764)年に逝去し、竹原における学問の場が一時失われました。
寛政5(1793)年、道碩の子弟であったョ春水・春風、町年寄小倉屋籐左衛門ら有志による郷塾「竹原書院」が開講されました。これが竹原における図書館史のはじまりです。
しかし、文化10(1813)年、火災類焼により焼失、以後、明治43(1910)年に社団法人「竹原書院圖書館」結成まで、再興がかないませんでした。この竹原書院時代から200年余りの伝統ある、現竹原書院図書館には、江戸時代の製塩業関係古文書、竹原の風俗を書いた和本、古地図などの資料が今も受け継がれ、収蔵されています。
たけはら美術館企画展「竹原書院所蔵品展」リーフレットより

竹原圖書館新築工事設計図 昭和5(1930)年
|
|
明治43年
10月
|
寛政年間の郷塾「竹原書院」の伝統をついで、町の有志が、社団法人「竹原書院」を設立、図書館活動を開始。 |
|
大正15年
3月
|
文部省より選奨される。 |
|
昭和4年
4月
|
社団法人「竹原書院」を発展的に解消して竹原町に移管、町立図書館竹原書院となる。 |
|
昭和9年
2月
|
再び、文部省より選奨される。 |
|
昭和33年
11月
|
市制施行により、市立図書館竹原書院となる。 |
|
昭和34年
5月
|
巡回文庫開始。 |
|
昭和34年
10月
|
「社団法人竹原書院」開館50年記念行事開催。 |
|
昭和35年
2月
|
条例整備に伴い市立竹原書院図書館と名称変更。 |
|
昭和44年
12月
|
図書館協議会設置。 |
|
昭和46年
12月
|
現在地に、図書館新築落成。昭和47年2月活動開始。 |
|
昭和55年
5月
|
「竹原市視聴覚ライブラリー」を併設。 |
|
昭和57年
10月
|
移動図書館車「わかたけ号」活動開始。 |
|
昭和60年
12月
|
録音図書郵送貸出サービスの開始。 |
|
平成元年
5月
|
県立図書館資料データベースのオンライン検索サービス開始。 |
|
平成元年
9月
|
拡大読書器設置。 |
|
平成2年
2月
|
返却用ブックポスト設置。 |
|
平成4年
3月
|
移動図書館車「わかたけ2号」活動開始。(1号車は廃車) |
|
平成4年
4月
|
利用者資料検索のためパソコン入力開始。 |
|
平成5年
2月
|
江戸期の郷塾「竹原書院」開講200年記念行事開催。 |
|
平成10年
10月
|
三原市立図書館と広域相互利用開始。 |
|
平成11年
4月
|
安芸津町図書館と広域相互利用開始。 |
|
平成13年
3月
|
「みんなのための図書館サービス」(中間報告)作成。 |
|
平成14年
3月
|
「みんなのための図書館計画」作成。 |
|
平成14年
3月
|
「竹原市立図書館建設基金条例」制定。 |
|
平成15年
4月
|
図書館電算化。 |

『 竹 原 下 市 村 覚 書 』
下市村覚書 文政3(1820)年
正確には、「下市村於中覚書」「下市村役所覚書」「竹原町覚書」などの表題がつけられている。年代は天和4(1684)年から明治4(1871)年までで、現在152冊が残っている。内容は、幕府・藩の「触」(知らせや命令)や貢租(税金)・村政・治安・産業・商業・交通運輸・寺社等に関する記事である。竹原市史第4巻資料編に、重要史料が抜粋されて、年代順に収録されている。図書館では、三百数十年以前の貴重な市民の文化遺産として劣化を防ぐため、マイクロフィルムや複製本を作成し、現本は保存に努めている。図書館では、複製本を利用できる。
トピックス <竹原町覚書>(享保14年・1729年)4月7日の頃 長崎に来朝したオランダ人が象を将軍に献上して、山陽道・東海道を通って江戸に到着している。4月8日に四日市(東広島市)を発ち、田万里で休憩し、見物などで大騒ぎになった。この象は日本に初めて来た象である。
|
『 東 路 日 記 』
(嘉永7年) 複製本 忠海町灌園坊 作

忠海町西養寺の住職で、池坊流花道の名人。京都池坊家元の名代資格を授けられ,全国を回り流派を広めた。『東路日記』は嘉永7(1854)年、上京した時の日記。同じく灌園坊の記した『日記』(安政6年)も複製本が図書館に所蔵されている。
なお、西養寺にはその他、灌園坊資料が保存されている。 辞世の句 「島一つ見えてあかるし秋の雨」
|
『 御 客 帳 』

忠海町羽白家(江戸屋)から寄贈を受けた「御客帳」は文化・文政から,明治20年までのほぼ70年にわたる帳簿で、廻船問屋をしていた当時の得意先名簿です。取引のあった国別に、来航年月日・船名・船頭名・扱った品物の名が記されており、この「御客帳」から、忠海町の港町としての繁栄の姿を見ることができます。市史の編さん資料としても大変貴重なもので、全国から、この資料の閲覧のために図書館を訪れる方も絶えません。忠海町には、荒木家(浜胡屋)の「御客帳」も残されています。
|
『竹原塩田誌』全6巻
小山季興(おやますえおき)編

「本書ハ安芸国賀茂郡竹原塩浜ノ記録類ヲ抜粋シタモノナリ」とはじめに書いてあり、現在竹原書院図書館の旧竹原塩業組合史料をもとに編纂されたものである。竹原塩業組合の責任者であった小山季興(1847〜1923)が編纂にいつ着手し、いつ完成したのかは不明だが、内容、清書ともにとても丁寧で、長い年月を要したと想像できる。そのため、右人差し指が神経痛で曲がり、見るのがつらかったという家族の方の話である。また、ちびた筆が山をなしていたという。
大正12年2月竹原塩浜大工中によって地蔵堂境内に思恩碑が建てられている。小山の墓は、広島市江波の慈仙寺にある。 「日本塩業史体系 資料編 近世(四)」(日本専売公社発行、昭和50年)に全6巻が収録されている。
|
『三理翁家集』昭和8年発行 著者 中村拙蔵
「三理翁家集」を残している中村三理(文化6年−明治16年)は、昭和48年発行の「竹原小学校創立百年誌」には、竹小創始者と書かれています。
竹原小学校の始まりは、明治6年(1873)に「薫陶館」として開館されたことが始まりで、この「薫陶館」は、中村三理(通称三平、綾)が塩浜庄屋という重責があったにも係わらず、明治2年より小学校設立の伺い書を提出し、開校に努力した結果でした。中村は、初代「薫陶館」長として子弟の教育に専念しました。「三理翁家集」の目次には、短歌、漢詩などの文章や、郷土史に関する文章もあります。中村三理は、郷土教育に貢献したと竹原小学校のそばの郷賢祠に祀られています。
なお、中村三理の書いた「竹原小学校 教則・定書」の軸物が、図書館に残されています。
|
「 さ く ら あ さ 」

町並みの中にある西方寺境内の普明閣の下に麻刈墳という石碑があります。文政10(1827)年に、竹原の俳諧を楽しむ上層町人の同人により芭蕉の記念碑として建立されたものです。この時、同時に竹原連中により句集「さくらあさ」が刊行されています。序文は照蓮寺の片雲(第九世の住職、生没年不詳)が書き、朝?(中村屋儀三郎)が編さんしています。発句は、芭蕉翁玉章と書かれた次の句で、秋ちかきこころのよるや四畳半 以下380句余りが記されています。号の上に、白市、新庄、三津、南方、広島、吉和などの出身地が書かれており、当時の安芸の国竹原の文化の高さがうかがえます。なお、この句集「さくらあさ」は、平成13年に、岩国玉太さんにより、註解が出版されております。
|
『山陽先生の幽光』
光本鳳伏 口述 / 山崎 南岳 筆記 大正14年
広島市の芸備日日新聞に大正12年11月から300余日にわたって連載されたものをまとめたもので、1000ページ余りの頼山陽の研究書。光本半次郎(鳳伏)は安政4年(1857)竹原で生まれ、昭和23年(1948)3月20日に92歳で亡くなり、照蓮寺に葬られている。
幼少の頃から、高橋石霞、中村三里に師事し、その後、広島師範学校で学び、竹原に戻り竹原小学校の前身「薫陶館」で長い間子弟の育英に当たった。賀茂郡議会議員を始め、さまざまな要職につき、各分野で活躍をした。薫陶を受けた著名人には、永井潜、松阪昭二、吉井章五、竹鶴友三などがおられる。
光本 鳳伏は、「竹原文学」を提唱し、先哲の研究に没頭し「山陽先生の幽光」をはじめ、「山陽先生の神髄」「山陽いろは歌」「山陽遺墨集」などの著書もある。
町並みにある、「光本邸」は、鳳伏の孫が市に寄贈されたもので、図書館には同邸にあった「光本文庫」2000冊あまりを所蔵している。
|
▲ページのはじめに戻る ■トップページへ戻る
Copyright (c) 2003 takeharashoin city library. all rights reserved. |